【ワンコインプロジェクト】ウクライナ難民支援
【ハーティン主催のプロジェクトです】
・スポンサーの寄付額は「毎月500円」一択です。(いつでも止めることができます)
・このプロジェクトの寄付先はハーティンが決定し、時勢にあわせて適宜変更致します。
・領収書等は、クレジットカード会社発行の領収書のみになります。
・寄付金は、プロジェクト終了の翌月か12月中旬のいずれか早い方に活動団体へ寄付致します。
第一弾:医療従事者支援団体 WeSupport様 2021/9/2~2022/3/24(寄付総額25,000クリック分25,000円)
https://wesupport.jp/
第二弾:ウクライナ緊急支援 AAR Japan[難民を助ける会]様 2022/3/25~継続中
https://lp.aarjapan.gr.jp/ukraine/
※このプロジェクトの領収書等は、クレジットカード会社(stripe)発行になります。寄付先団体からは発行されません。
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ウクライナに平和が戻ってくることを願って。
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1日でも早く平和な日々が訪れますように
クリック募金プラットフォーム「HEARTiN(ハーティン)」が、このプロジェクトに最適な団体を選出し、寄付します。
活動報告
寄付先団体の紹介
特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)
1979年にインドシナ難民支援を目的に日本で発足した、認定NPO法人です。
政治・思想・宗教に偏らずに活動することを基本理念としています。これまでにインドシナ難民、シリア難民支援、ロヒンギャ難民など40年余りの活動実績があります。困難な状況下にある人々の中でも、特に弱い立場にある方々へ、長期的な視点をもって支援していくことを重視して活動しています。
https://aarjapan.gr.jp/
【ウクライナ難民支援のレポート】
https://aarjapan.gr.jp/report/?country=ukraine,moldova
AAR JapanのSNSでは、活動地から届いた最新の情報などをご覧いただけます。
Twitter https://twitter.com/aarjapan
Facebook https://www.facebook.com/aarjapan
Instagram https://www.instagram.com/aar_japan/
活動レポート:砲声が聞こえる村で暮らし続ける人々@ウクライナ (2024年9月)
ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって2年半余り、今も激しい戦闘と全土への攻撃が続いており、事態が終息する兆しは見えません。AARは、同国南部のミコライウおよびヘルソン両州で、困窮する地域住民や避難民の生活を支える現金支給を行いました。
2024年9月12日、AAR職員が現地協力団体「The Tenth of April(TTA)」の現場チームとともに訪ねたヘルソン州の北西端プラヴディノ村は静まり返っていました。プラヴディノ村のあるヘルソン州は開戦直後の2022年3月、ロシア軍に全域を占領されました。ウクライナ軍は同年11月に州都ヘルソン市やプラヴディノ村を含むドニプロ川西岸(北側)を奪還しましたが、東岸(南側)はロシアに占領されたまま、川をはさんで戦闘が続いています。前線から約30キロに位置するプラヴディノ村一帯には多くの地雷が埋設され、砲声が立て続けに数発、南の方角から伝わって来ます。
プラヴディノ村で4人の子どもを育てるナスチャさん(31歳)は、「AARからの支援金で、冬に備えて暖かい子ども服を買うつもりです。私たちのことを心配してくれる日本の皆さんに感謝します」と話します。
プラヴディノ村の村長リュボフさんは、「家が全壊したなどの理由で、避難したまま帰って来られない住民も多く、1,500人余りいた人口は現在850人ほどに減りました。占領下で最後まで村に残った約180人は、逃げるに逃げらない年金生活の高齢者がほとんどです。避難するにもお金が必要で、頼れる伝手もない住民は危険な交戦地域に留まるしかなかったのです」と説明してくれました。
決して充分な金額とは言えないものの、支援を受け取ったプラヴディノ村の人々は、遠い日本から届いた支援に対して、感謝の思いを口にしていました。引き続き、AARはウクライナ国内の残った人々への人道支援へ実施してまいります。ご支援、ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
写真:生活支援金を受け取ったナスチャさん一家と話すAAR現地職員オレーナ(左)
活動レポート:困窮す人々に生活費提供@ウクライナ (2024年7月)
写真:横になって過ごすことが多いマリアさん(左)から話を聞くAAR職員シュクル・バイデラ(右)
ロシアによる軍事侵攻が3年目に入り、ウクライナでは約370万人の国内避難民が厳しい状況に置かれています。
AARは、ウクライナの現地協力団体「The Tenth of April」(TTA/本部オデーサ)と協働し、同国南部のミコライウおよびヘルソン両州で、困窮する地域住民や避難民の生活を支える現金支給を行っています。
ヘルソン州ブラホダトネ村にひとりで暮らすマリアさん(75歳)は、
「私は歩行が困難で、松葉杖を使って家の中を移動するしかありません。高血圧や心臓病も患っています。子どもたちは外国に住んでおり、ひとり暮らしは心細いです。生活費の支給は本当にありがたいです。まず薬を買って、去年は冬ごもりのために必要なものを買い揃えることができました。この戦争がいつまで続くか分かりませんが、遠い日本から届いた支援のおかげで希望を感じます。日本の皆さんに『ありがとう』と伝えてください」
と話しています。
ブラホダトネ村は戦争が始まって以来、ロシア軍に9カ月間占領されていましたが、その後ウクライナ軍が奪還した地域です。
住民は親しい人々や隣人を失うなど辛い体験をし、現在も厳しい生活を余儀なくされています。
最新のレポート:危機の終息が見えない中で@ウクライナ
写真:避難民の女性に話を聞くAARのシュクル・バイデラ(左)
ロシアによる軍事侵攻が3年目に入ったウクライナでは、事態が終息するどころか、南東部の戦闘、全土のインフラ施設へのミサイル攻撃がさらに激化しています。AARは2023年10月以降、ウクライナの「The Tenth of April」(TTA/本部オデーサ)と協働し、南部ミコライウ、ケルソン両州で、国内避難民を中心に、家を失った人や高齢者、障がい者世帯を優先して、現金や衣類、衛生用品などを届けています。
ミコライウ州都ミコライウ市の療養施設に仮住まいしているナターシャさん(44歳)は、24~5歳の娘5人、息子2人を持つシングルマザー。黒海に面した同州の町オチャコフに住んでいましたが、「毎日のように攻撃があり、砲撃を受けて家が壊されました。その時ひとり家にいた84歳の母も幸い無事で、その後は家族で親戚や友人宅を転々としました」。しかし、どの家も避難者でいっぱいだったため、昨年12月に街を離れざるを得なかったといいます。
「この先、家族で安心して過ごせる場所を見付けられるかどうか……。それに子どもたちの教育も心配です。オンライン授業が行われているのですが、私たちは古いスマホしか持っていないので、満足に勉強させることもできません」。その一方で「日本の皆さんが私たちのことを気にかけてくださっていると知って温かい気持ちになりました。ご支援に感謝します」と話しました。
最新のレポート:前を向いて生きていきたい@ウクライナ(2024年4月)
真:AARウクライナ現地職員と話すユリヤさん(写真右)
ロシアが2014年に併合したクリミア半島にほど近いヘルソン州の村で暮らしていたユリヤさん(55歳)。ロシア軍の侵攻直後に占拠されましたが、愛する故郷を離れたくありませんでした。しかし、物流が止まって食料の確保が難しくなり、村にはロシア兵があふれ、ついには自宅から一歩も出られなくなってしまいました。
夫がウクライナ兵として戦っていることが知れたら、自分の身に危険がおよぶかもしれないと思い悩んだ末、ユリヤさんは命からがらバルト3国のリトアニアに逃れました。しかし、母国を思う気持ちは募るばかりで帰国を決意し、現在は故郷の村からの避難民が多いミコライウ州都ミコライウ市で避難生活を送っています。
ソーシャルワーカーとして働いていたユリヤさんは最近、ミコライウ市内で仕事を始めました。「思い出がたくさん詰まった家を失ってしまったけれど、前を向いて生きていくことを決意しました。いつか愛する故郷で元の暮らしに戻れるよう、今はミコライウで精一杯働きます」と、穏やかに、そして力強く語ってくれたユリヤさん。「ウクライナのことを忘れず、こうして支援してくれる日本の方々にありがとうと伝えたい」と繰り返しました。