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【緊急支援】トルコ・シリア地震支援

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【緊急支援】トルコ・シリア地震支援

【ハーティン主催の緊急支援プロジェクトです】
今回のトルコ・シリア地震の緊急支援のためにプロジェクトを立ち上げました。
 ・集まった寄付金は、トルコにも拠点があり速やかに活動を開始した特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)へ全額寄付いたします。
 ・領収書等は、クレジットカード会社発行の領収書のみになります。
 ・寄付金は、プロジェクト終了の翌月か12月中旬のいずれか早い方に全額活動団体へ寄付致します。(決済手数料、振込み手数料等ハーティン負担)

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トルコ地震支援の緊急募金受付け

活動報告

今も240万人が避難生活:トルコ地震から半年【現場レポート】

2023/08/18 14:14

今年2月6日のトルコ地震の発生から半年が経ちました。
隣国シリアと合わせて5万7,000人以上が死亡した震災では、トルコ国内だけで今なお約240万人が居住用コンテナやテントで過酷な避難生活を続けています。AAR Japanは発生直後に緊急支援を開始し、これまでに同国南東部の被災地で延べ6万2,400人に食料・衛生用品などを届けてきました。

【公園の水道を使ってテント暮らし】
震災後、新たな住居を確保できない人々の居住環境は、トルコ政府が開設・運営する公式の避難所(公式サイト)、あるいは被災者が自ら空き地や公園にテントあるいはコンテナを設置して生活する非公式キャンプ(非公式サイト)の大きく2つに分けられます。設備がある程度整った公式サイトと違って、非公式サイトには十分な支援がありません。

カフラマンマラシュ県都の市街地には、至るところに非公式サイトが散在し、主婦のアイシェ・ケクチュさん(50歳)は夫と息子と3人で、大きな公園に設けたテントで生活しています。「あれだけの大地震だったのに、私たちが住む借家は無事でした。ところが、月550トルコリラ(約3,000円)だった家賃は震災後、住宅不足で相場が15倍以上に跳ね上がったのです。とても払うことができず、大家から立ち退きを求められて、私たちは家を出ざるを得ませんでした」と話します。

6カ月にも及ぶ不自由な避難生活にアイシェさんは疲れ切っています。それでも、アイシェさんは感謝の言葉を伝えてくれました。「私たちの話を聞いてくれる人は誰もいません。話を聞いてくれるだけでもいいのです。私たちが大変な避難生活を送っていることを人々に知ってもらいたい。遠い日本から来て、支援してくれるだけではなく、こうして話を聞いてくれて本当にありがとう」。

トルコと日本の助け合い(ハーティン文責)

2023/02/10 19:37

●エルトゥールル号遭難事故

1890年9月16日オスマン帝国(現在のトルコの一部)の軍艦エルトゥールル号が、現在の和歌山県東牟婁郡串本町沖にある紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し、500名以上の犠牲者を出した海難事故

木造の軍艦エルトゥールル号は、1887年小松宮彰仁親王夫妻のイスタンブール訪問に応えるため、日本へ派遣されることになりました。
1889年7月14日にイスタンブールを出港、約11ヶ月かけて1890年6月7日にようやく日本へ到着しました。
横浜港に入港したエルトゥールル号の司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、6月13日にアブデュルハミト2世からの皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けました。

その帰路、1890年9月16日21時ごろ、台風の影響による強風にあおられたエルトゥールル号は紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に激突し、座礁した機関部への浸水による水蒸気爆発が発生した結果、22時半ごろに沈没しました。
これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする600名以上が海へ投げ出されました。

樫野埼灯台下に流れ着いた生存者のうち、約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりつきました。灯台守は応急手当を行ったが、お互いの言葉が通じないことから国際信号旗を使用し、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦であることを知ります。

通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たりました。この時、台風によって出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、米、卵やサツマイモ、それに非常用の鶏すら供出するなど、生存者たちの救護に努めました。
この結果、656名中、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還に成功します。
(司令官のオスマン・パシャを含めた587名は死亡または行方不明)
大日本帝国海軍のコルベット艦である「比叡」と「金剛」が遭難事故の20日後の10月5日、東京の品川湾から出航し、神戸港で生存乗員を分乗させて1891年1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブールまで送り届けました。

エルトゥールル号の遭難はオスマン帝国内に大きな衝撃を呼びました。
この海難事故は新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力も大きく伝えられ、当時のオスマン帝国の人々は遠い異国である日本と日本人に対して好意を抱いたといわれています。

●日本人を救ったトルコ航空イズミル号

1985年のイラン・イラク戦争で、イラクは、イラン上空の航空機について、48時間後から無差別に攻撃すると宣言しました。
当時の日本は、自衛隊による在外邦人救援ができず、日本で唯一国際線を運航していた日本航空も「安全の保証がされない限り臨時便は出さない」とし、イラン在住の日本人215名が脱出できない状況に陥りました。
日本の大使がトルコの大使に窮状を訴えたところ、ビルレル全権大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、ビルレル全権大使の要請を受けたトルコ航空は自国民救援のための旅客機を2機に増やし、オルハン・スヨルジュ機長らがフライトを志願した。
215名の日本人はこれに分乗し、全員トルコのアタテュルク国際空港経由で無事日本へ帰国できました。
トルコ機は、陸路での脱出もできる自国民より日本人の救出を優先。この救援機に搭乗できなかったトルコ人約500名は、自動車でイランを脱出しています。

世界には今この瞬間も様々な支援を求めている人たちがおり、懸命にその支援をしている団体があります。
残念ながら私たちはその全員に対し義援金、支援金をお渡しすることはできません。
不公平感があるかもしれませんが、ハーティンではその時の状況を鑑みて今後もハーティン主催の緊急支援プロジェクトを立ち上げてまいります。
ハーティン主催プロジェクトは、寄付金全額を支援団体へ寄付し、手数料はハーティンが負担いたします。

AAR Japan[難民を助ける会]とは

2023/02/10 19:17

【国連に登録・公認された日本生まれの国際NGO】
1979年にインドシナ難民支援を目的に日本で生まれました。紛争、災害、障がいなどによって困難に直面する人々を支援しています。なかでも特に弱い立場に置かれた方々に、長期的な視点で寄り添います。政治・思想・宗教に偏らない立場で活動します。

これまでに65を超える国や地域で活動。現在は16ヵ国で、人道危機にさらされた人々に必要なものを迅速に届けて命をつなぐ緊急支援と、「地雷・不発弾対策」「障がい者支援」などさらに未来を切り拓くための長期的な支援に取り組んでいます。

最新活動レポート

2023/08/18 14:17

▼食料や衛生用品の配付を続けています:トルコ地震緊急支援
・2023年8月1日更新
「心の中で泣いています」今も240万人が避難生活:トルコ地震から半年
https://aarjapan.gr.jp/report/10854/

・2023年5月26日更新
被災したシリア難民の住環境を改善:トルコ地震支援
https://aarjapan.gr.jp/report/10061/

被災者に緊急物資を届けています

2023/08/18 14:15

トルコ南東部で2月6日発生した大地震は、隣接するシリアと合わせ5万人以上の死者が確認されています。今も240万人近くがテント生活を余儀なくされています。AAR Japan[難民を助ける会]は発生直後に支援活動を開始し、物資の配付を続けています。
【これまでに配付した物資の例】
・食料詰め合わせ(パスタ、コメ、油、豆、オリーブ、チーズなど)
・衛生用品(液体石けん、歯磨き、ウェットティッシュ)、生理用品
・毛布、子ども用おむつ、下着セット
・床面を作るために、パレットと呼ばれる頑丈な「すのこ」1,600枚

震災発生から数ヵ月がたちますが、膨大なニーズに対して支援物資は大幅に不足し、被災者の生活再建のめどは立っていません。被災地ではたくさんの人々が私たちの支援を待っています。

※twitterでもトルコ地震被災者支援に関する最新の情報をお伝えしています。ぜひご確認ください。
▼AAR Japanのtwitterはこちら
https://twitter.com/aarjapan?lang=ja